招徳
(しょうとく) |
正保2年(1645)から続く由緒ある蔵元。特に純米酒に力を注いできた。日本三大銘醸地のなかの伏見の酒。きめこまやかで、女性的なイメージがある。 |
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玉乃光
(たまのひかり) |
今では全国どこの蔵元でも純米酒を発売しているが、つい30年ほど前までは、醸造アルコールや糖類を加える酒づくりが常識で、純米酒という言葉さえ知られていなかった。そんな中、昭和30年代の後半、すでに純米酒を「無添加酒」として発売していたのが玉乃光酒造である。当蔵元は、その後も「純粋日本酒協会」を発足させるなど、純米酒の普及と向上に大きな役割を果たしてきた。 |
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月の桂
(つきのかつら) |
酒どころ伏見で300年の伝統を持つ“月の桂”は、出色の個性を持つ蔵元でもある。“にごり酒”はこの蔵の発祥で現在は各地に広まっている。 |
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英勲
(えいくん) |
全国新酒鑑評会に純米大吟醸酒で出品し、6年連続で金賞を受賞。また民間レベルの品評会でも連続して全国1位を獲得するなど、活躍著しい蔵である。それまで普通酒中心だった英勲がこの十数年の間に劇的な成長を遂げた背景には、伏見の他の蔵で活躍していた経験を持つ藤本修志技師の存在がある。平成3年に入蔵、製造部長に就いた藤本氏は蔵に吟醸づくり、純米づくりのノウハウをもたらし、齊藤酒造を一躍京都屈指の銘醸蔵に変貌させた。 |
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桃の滴
(もものしずく) |
蔵元の創業は寛政3年(1791)。当初は東山七条に蔵を構えていたが、大正時代、すでに名醸地となっていた伏見に進出。現在の蔵元の建物は、そのときに建てられた木造の蔵を修復しながら受け継いできたもので、外観はほぼ大正時代のままに残されている。高瀬川の水面に移るその姿はなんとも風流で美しく、伏見の観光名所のひとつにもなっている。かつて伏見は桃がたわわに実る土地であったという。松尾芭蕉も伏見の西岸寺を訪れた際に、「我衣にふしみの桃の滴せよ」という句を詠んでいる。酒銘はその句からとったもの。 |
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初日の出
(はつひので) |
明治26年の創業。酒名は創業に際し、将来の発展の願いを込めてつけられたもの。吟醸づくりの延長としての醸造をモットーにしている。 |
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松竹梅
(しょうちくばい) |
奈良、平安の時代からめでたいものとされた松竹梅。いつまでも美しく(松)、たくましく(竹)、健やか(梅)になることを願う人々の”よろこびの酒”でありたいとの願いから大正9年に「松竹梅」と命名された。同社の遠祖が酒造業に着手したのは天保13年(1842)。以来清酒、甘酒、白酒を造り、慶応2年より、みりんと焼酎の製造もはじめている。会社組織となったのは、対象14年のこと。酒どころ伏見と灘に工場をもち、きめ細かくて柔らかな伏見酒、豪快な灘酒をミックスして「松竹梅」の個性が醸しだされている。 |
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黄桜
(きざくら) |
大正14年、伏見・松本酒造鰍フ7代目から「黄桜」の商標を譲り受けた初代が、同じ伏見の地に松本治六郎商店を創業。2代目の下で関東市場で名を高め、近代的醸造蔵、瓶詰めラインを完成。以来、著しい発展を遂げ、いまや酒造業界屈指のメーカーとなった。漫画家・故清水昆のカッパをイメージキャラクターに、”カッパの黄桜”として知られるようになった。 |
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富翁
(とみおう) |
創業は酒株制度ができた江戸時代前期、明暦3年(1657)と伝えられている。すでに伏見には83件の造り酒屋があったというが、同社の酒は”鮒屋の酒”として愛飲されていたという。明治43年に現在の地に酒蔵を移転し、このころ「富翁」の銘も生まれたらしい。四書五経の文献中の言葉で、”富此翁”からつけられたもの。心豊かな者は晩年になって幸せになるという意味がある。 |
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月桂冠
(げっけいかん) |
日本で最も多く飲まれている清酒「月桂冠」の発祥は、寛永14年(1637)。伏見の馬借前、屋号は笠置屋、銘柄は「玉の泉」だった。「月桂冠」になったのは、明治38年。将来日本酒の王者になろうと志し、勝利者に送られる栄光のシンボルにちなんで名づけられた。明治42年には、”大倉酒造研究所”(現月桂冠総合研究所)を開設し、勘と経験を頼りにしていた酒造りに科学技術を導入した。明治44年には樽詰全盛にあって、瓶詰酒を発売。その後次々に品評会、鑑評会などで上位を独占する。昭和36年には、他社に先駆けて四季醸造蔵を完成させ、年間を通して高品質の酒造りを心がけている。 |
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